1961-03-02 第38回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第5号
ロシヤ革命の時代直後にルナチャルスキーという人、この人は自由主義的傾向の人ですが、文部大臣になったことがあります。このルナチャルスキーが一たびラジオのマイクに立つと、学校の先生たちはみんなアリがみつに集まるようにラジオに耳を傾けて聞いたということであります。
ロシヤ革命の時代直後にルナチャルスキーという人、この人は自由主義的傾向の人ですが、文部大臣になったことがあります。このルナチャルスキーが一たびラジオのマイクに立つと、学校の先生たちはみんなアリがみつに集まるようにラジオに耳を傾けて聞いたということであります。
○羽生三七君 おりおり古い話を出して恐縮ですが、一九一七年にロシヤ革命が起こったあと、日本は一九二五年、当時の労農ロシヤを承認しております。アメリカの方は一九三三年でありますから、日本はこれに先んじること八年、アメリカに先んずること八年、当時の労農ロシヤを承認いたしております。当時、後藤新平氏は一部から国賊扱いされながら、しかし、日ソ、当時の日露外交の上に、実に多くの寄与をしております。
それからウィルソン十四カ条についても、一九一八年の一月の客観情勢としては、ロシヤ革命のもたらした事情が最も直接の契機をなしているということは、アメリカ側のウィルソン側近の史料によっても裏づけられるのじゃないかと、史料を示して言われておる、これもぐうの音も出ない。
ロシヤ革命も十数年後のことであります。そこでそういう問題があるわけでありまして、その後においては必ずしも現実的な、たとえば朝憲紊乱の内乱、暴動を起すとか、あるいは政治的な意図をもって人を殺害するとか、そういう現実的な行動は起らないにしても、そういうことが行われる可能性はあり得る、またそれが持続されて時たまたま爆発するということは考えられるのであります。
そうしてなお天は二物を与えずで、この特異性を取り違えて、外来の思想に操縦されたために、ことに第一次大戦後のロシヤ革命以後は非常に破壊的な思想がふえまして、現在日本にはこれがはんらんしておる。そういうわけで、日本精神をかきまぜ、むしろ日本精神を失い、そうして外来思想に操縦されたところに第二次大戦に日本が突入していったところの原因があると私は断定しておるのであります。
前回のロシヤ革命後の日ソ国交の回復の際に、何年ごろでありましたか、たしかレプセといいましたが、ソ連の労働代表が日本に来たことがございます。ところが、このソ連の労働代表レプセの歓迎のためにそこに集まった労働者や学生たちは、もうことごとく一人残らず、見つかり次第ひっつかまえられて、豚箱にぶち込まれてしまったのであります。
田中大将の金塊はロシヤ革命に深い関連があるのでありまして、この共産主義革命は、歴史家も政治家も忘れられない、あの一九一七年十一月七日、ボルシェヴィキの首領ニコライ・レーニンの指揮よろしきを得て、すなわち、彼は、十一月六日ではまだ時期が熟さない、十一月八日では盛り上りが引き潮になって熱が下る、火ぶたを切るのは十一月七日に限るというがごとき、神技に近い周到なる戦略戦術から割り出した、その十一月七日に、大
詳しくいえば、第一次大戦後ロシヤ革命が起った後というものは、戦法が変ってきておるのにもかかわらず、多くの法の解釈は、依然として第三次大戦のようなことを基礎として戦争に対する論評をしているように思いますが、私どもが見まするところでは、第二次大戦後は武力戦は副になった。
でありますから、ただいまのような御質問は重大な問題でありますが、しかし今日の段階においては――フランス革命やロシヤ革命のときでありますならば、それでよいと思いますが、今日私どもは、国際的にはいろいろ議論がございますが、しかし国際法治時代ということは十分に言えると思います。ましてや国内政治におきましては、もう憲法、法律というものを離れて政治を考えることはできない段階に入っておる。
私はあなたも長い間の政治生活をしておるから警告を申し上げますが、私ども長い間民衆連動をやって弾圧されてきておるけれども、いつでも善意によって権力を乱用し、特に軍隊を動かした、そういうふうな臆病で、暗愚な政治家というものが、ロシヤ革命を見ても、フランス革命を見ても、革命の原因をなしておる。特にこれは自民党の声明などを見ても、労働争議そのものが悪であるという前提に立っておる。
○足鹿委員 綱島委員の、農民組合の基礎理念についての御高見を拝聴いたしたわけでありますが、御指摘になりましたように、一九一七年にロシヤ革命が成功いたし、その成功の基礎には、労働者と農民との提携というものが、レーニンという指導者によつてよき成果をあげた、こういうふうにロシヤ革命史は伝えておるのであります。
遠くの事例は別として、たとえばロシヤ革命におきましても、あるいは中国の共産革命におきましても、また現在拡大しつつある仏印におけるホーチミン軍の動乱にいたしましても、その国のことごとくは、その国民の生活水準が世界水準に遠く離れて低位にあり、そうして生活の困窮のどん底にあるところにこそ初めてかような不安が起るということを御存じであるかどうかをお尋ねいたしたいと存じます。
あるいはまたロシヤ革命のようなものが、政府の施策がよろしきを得ないならば、日本においても起らないとは限らないというふうなことを、社説に書いたとしますと、それは一体どういうふうな取扱いになるでありましようか。
あまりしつこくやりませんが、「革命拠点の設置につとめ、拠点となる工場をロシヤ革命の発火点云々」、これは非常に具体的な、われわれからいえばゆめにも知らないことで、前にも申しましたように、こういうものを読んで、むしろ驚いているくらいなんです。
○吉田国務大臣 かつて公開外交というようなことをロシヤ革命当時に唱えられたのでありますが、それも遂に自然消滅したような状態で、私はいまなお外交は秘密で行くべきだというよに考えております。但しその秘密は、何も外交については国民の目をおおうという意味合いではなくて、いわゆる舞台裏の話はこれは公開すべきものではない。
で、マルクス・レーニン主義と言われているところのものは、共産党の今日指導精神となつておるところのレーニン主義というものは、そのマルクス主義が持つておるところの理論体系の中において、前者の進化論的な見方よりも、後者の革命主義的な、情熱主義的な、そうした面にウエイトを置いて発展したところのものが即ちロシヤ革命の指導理論であつたレーニン主義の本質であると考える。
じかもこの史実に至つては、ロシヤ革命の史実だけしか利用してない。これは参考になるというよりは、むしろ非常に誤解を招く。その結果著者自身もずいぶん妙な言葉を使つているところがたくさんあるのであります、普通に使われないような言葉がよく使われておるのであります。
こういうことは近代國家においては、今まで例のないことでありまして、ロシヤ革命当時に、一度そういうことがあつただけであります。近代国家における基本産業の鉄鋼生産が、平均一〇%以下ということは、未だかつてロシヤ以外になかつたことであります。
これはロシヤ革命の時分に盛んにやつたことで、フランスの大革命のときに、正妃マリー・アントアネツトああいう人がギロチンで殺されたときにはやつた言葉があつて、今日の世界では、かようなことは行われていない。御承知の通り、英国の国王は精神病者であると書いてあるだけで、民主主義英國はこれを處罰した。
(拍手)すなわち、かつてレーニンが、ロシヤ革命の当初、食糧の緊急なる事態に当面いたして、ついに國家権力による撤收困難となるや、思い切つて自由價格を採用し、この危地を乘り切つた底の勇猛果敢なる努力が、私はあらゆる公式論を超えて今日用意せられなければ、いわゆる農家の中から断じて米を取出し得るものでないということ――この機会こそ、公式論を超えて、私たちは、そのかなたに國民生活の安定を考えたいと思うものであります